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RP−net川柳会「もやい傘」
[第150回記念誌上川柳大会] 
〜盲目の見上げる解夏の青い空〜





[作成日 : 2023年10月1日]





 次のエッセーは丁度20年前に、日本点字図書館主催の「随筆・随想コンクール」
で優秀賞を受賞した山本進の作品です。

■越えた深く悲しい山

 昨年久しぶりに、友人に勧められた映画を観た。映画は、テレビなどの娯楽や趣味
の多様化の波に圧されて衰退の一途を辿ってきたが、近年は映画館も増えて、一昨年
の興業収入は史上最高を記録したという。しかし、その報道はとても信じられないそ
の日の光景であった。平日の午前とはいえ、300余の観客席には私たち夫婦を含め
たった五人で、視覚障害者は私ひとりであった。

 映画のタイトルは「解夏(げげ)」(さだまさし・原作)。東京で小学校の教師を
していた主人公が突然目の中に白い眉月を見る。そして、幼なじみの眼科医から「ベ
ーチェット病」と診断され、インフォームド・コンセントを受ける。それは、「シル
クロード病」というロマンティックな異名をもち、徐々に視覚を失っていく原因不明
の難病だと分かる。やがて、彼の見える世界は日を追って曇っていき、光を失う恐怖
や悔しさと闘う日々が
続く。

 ドラマは、小学校を退職した傷心の主人公を優しく包む故郷・長崎の、美しい坂の
町の、見ることができる最後の夏を背景に、彼の失明への恐怖と悔しさ、悲しさを縦
軸として、彼を優しく、切なく見守る恋人や家族の愛情と痛みを横軸に、叙情的にし
っとりと美しく織り上げられていく。

 劇中で老僧の口から「解夏(げげ)」の意味が語られる。インドでは僧が、夏(雨
期)に外出すると虫の卵や生長する草を踏み、生きとし生けるものの命を奪うことに
なるので、陰暦の4月16日から7月15日までの90日間を、庵にこもり座禅を組
んで修行する。それを安居(あんご)といい、安居の始まる日を結夏(けちげ)、終
る日を解夏(げげ)または夏解(げあき)という。

 映画のラストシーンで、主人公の視界が白い霧に包まれ恋人の姿も見えなくなる。
そして、目に見えていた長崎の最後の夏も終る。しかし、ふたりの深く結び合った心
には、悲しくも落ち着いた安らぎがあった。彼らは失明することによって‘失明の恐
怖との闘いの行’から解放されたのである。

 突然その時、「旅をした深く悲しい山越えた」(時実新子・作)という句が私の脳
裏をよぎった。
 私の病気も、ベーチェット病と同じく、国が指定する特定疾患のひとつ「網膜色素
変性症」で、遺伝子のプログラムによって網膜の視細胞が徐々に脱落していく難病で
ある。真綿で首を締めつけられるように、じわじわ夜盲と視野狭窄、視力低下が進行
し、やがて失明へと向かう病気である。
 思えば、30歳代半ばごろに、眼科医から「この病気は網膜色素変性症という原因
不明の難病で、現在治療法はありません。将来失明するかもしれません」と‘引導’
を渡され、「医学は日進月歩しているので、いつか治療法も開発されると思います。
長生きしてください」と慰められたものの、あたかも‘白衣を着た裁判官’から‘死

刑判決’を受けたような、そんな大きいショックを受けて、「もうアカン。これで俺

の人生も終りや」と絶望の淵に追い落とされたことを今も忘れることはできない。そ
の時が私の安居の始まり(結夏)であった。

 私の安居はそれから16年に及んだ。世間の偏見を恐れて家族以外のだれにも相談
できず、家族のことを思えば自殺することもままならず、鬱々とした気持ちで、悶々
とした難行をしながら会社生活を送ることになる。やがて仕事がやり辛くなって満5
0歳の誕生日に退職。日本ライトハウスで慣れない苦行を積み、白杖による歩行訓練
、パソコン、点字を学んだ。そして、それらをマスターすることによって生きていく
自信がついた。自分ひとり難病で悩んでいると思っていたが、周囲を見回す余裕が出
ると、そこには多数の同じ病気で悩む仲間がいた。しかし、不治の病という重い十字
架を背負いながらも元気に明るく生きる彼らの姿に、‘網膜から鱗が落ち’、人生観
が大きく変わった。やっと失明を受容することができるようになった。その時が私の
安居の終り(解夏)であった。

 私は、テレビドラマを観てはよく感極まって泣いているが、この映画では胸が大き
く波打つのを感じながらも泣かなかった。安居の中をさまよっていたならば、同じ境
遇の主人公に自分を重ね合わせて、映画館の中では懸命に涙をこらえながら、それで
も流れる涙を禁じることができないまま、心の中ではおいおい声を出して泣いていた
にちがいない。しかし、深く悲しい山を越えた私は、主人公やその恋人、家族に「が
んばれ、がんばれ」とエールを送っていたのである。また一方では、私の安居の時に
も妻や子、友人が優しく見守っていてくれたことに、改めて感謝の気持ちが湧き上が
ってくるのを感じていた。
(2004/01/28)

 それでは、例によって上記の中から出題します。

■第150回記念誌上川柳大会
[題と選者] 
題:「重ねる」 柴田佳子 選 (堺番傘川柳会)
題:「長生き」 澤井敏治 選 (川柳塔さかい)
題:「懸命」 内藤憲彦 選 (川柳塔さかい)
題:「悔しい」 銭谷まさひろ 選 (番傘川柳本社)
題:「たまご」 居谷真理子 選 (川柳塔社)
題:自由吟 吉道航太郎 選 (柳都川柳社)
 (各題2句出し)
◎締切:2024年1月24日(水) 正午必着




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